いつものように私たちは手を使って会話をする

幼少期

それは、父が酸素マスクを付けたときも変わらなかった

頭に着けたベルトで動かないように固定されたマスクは
絶えず大量の空気が出ていて、鼻までおおわれている
「口を開けると空気が沢山出てきて、声が出しずらい」と父は言った

私たちの言語は「手話」だ
「手話」は、手と顔の表情で言葉を操る 
空気が送られていて声が出なくても、いつも通り会話ができる
父との最期の会話は「腕時計見にくいから、大きいの持ってきて」だった

「OK!大きい時計持った来るよ」と返事をしてふと窓に目をやると雪がちらついていた
父の意識がなくなったのはその日の夜だった

大雪の日に救急車で運ばれた1ヶ月後のことだった

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